まじめなブログ

毎日まじめに考えて、毎日まじめに更新!が目標。。。

産後の肥立ちが悪すぎるっていうやつ。

産後、産褥熱になりました。

退院の日、朝から体がだるかったんです。熱が出そうだなって思うくらい。きっと疲れが出たんだわ~とか思ってました。

退院の準備して帰ろうとする時も、荷物が持てない。恥骨は痛くてまともに歩けないし、体はダルすぎるし、赤ちゃんも出来れば抱っこしたくない。それでもなんとか車へ。家に着くころには寒気が出て、ガッタガタのガッチガチに震えてました。それからは、ぐんぐん熱が上がる。一気に38度。これはダメだ。。と、一旦寝かせてもらう。ミルクで乗り切ってくれと一旦旦那に赤ちゃんを託しました。寝ても熱は下がらず、そのまま夜を迎えました。赤ちゃんをお風呂に入れることすらできません。夜もまたひたすら寝ましたが、熱が下がってる感じは無し。ただ、熱が上がってしまってからは、体がそれに慣れたのか、授乳できるようになりました。

疲れだろうなと思いつつも、なんとなくネットピコピコ~。「産後」「熱」と、グーグル先生に聞いてみると。。。「産褥熱」という単語が…!「産後10日以内に38度以上の熱が2日以上続くこと。」えっ?!これちゃうん?!!こんなんあんねや~。嫌やな、また病院行かないとあかんかもしらんのや。。。とショックを受ける私。

 

次の日、熱は37度台。このまま下がるかな?なんて思いつつゴロゴロしてても、やっぱり下がらない。37度台止まりなんです。夕方、やっと病院に電話してみる。

「悪露の量は?」 変わりません。

「悪露の臭いは?」 変わりません。

「お腹痛くないですか?」 痛くないです。

「喉の痛みや咳などの風邪の症状は?」 ありません。

「熱は?」 昨日は38度、今日は37度です。

すると、「たぶん産科系ではないだろう」と。来てもらっても、インフルエンザだと困るから。。。という回答。産褥熱の可能性も聞いてみたけども、腹痛もないし、悪露の状態からもそうは考えられない、と。

そしてその直後、またしても寒気がして、熱が上がる。ついに40度。これはまたヤバイ数字だと思いつつ、もう電話する元気がない私。そしてこの頃から、漬物のようなニオイすんな~と思い始めます。旦那も、こいつ臭いな~と思い始めてたようです。でも、野沢菜の漬物を混ぜたおにぎりが枕元にあったので、そのニオイだと思ってました。夜10時頃かな?やっぱりもっかい電話したほうがいいかなということで、電話してみる。

「悪露の量は?」 変わりません。

「悪露のニオイは?」 変わりません。

「腹痛は?」 ありません。

「熱は?」 40度です。

やっぱりここでも、「産科系ではないかな~」と。熱もしんどいから、一度行っても良かったけど、救急だと詳しい検査ができないので明日行くのとあまり変わらないらしい。だから、やはり一晩様子見ることに。

この電話のあとくらいから、あれ?もしかして漬物のニオイって私の布団の中からする?と思い始めました。試しに枕元のおにぎりのニオイを嗅いでみる。…全然臭くない…。布団を剥いでみる。。臭う。。私、臭い。。。

 

そして翌日。もうダメ。電話する気力もない。そもそも、総合病院の電話ってめんどくさい。一度、総合受付みたいなとこに電話して、そっから転送されるから、産科は話し中でした~とかって、もっかいかけ直せと言われることが多い。その度に総合受付に事情を話す。自分の症状を話すのも、もう飽きました。と思って行動に移せないでいると、旦那に、電話したほうがいいよ、症状が良くなってないもん、と促される。ダラダラしてる間に、午前中の外来受付時間が終わり、結局午後の救急外来に行くことに。昨日の夜行かなかった意味なし。内科で看護師さんに症状を話し、先生にもう一度話す。結局内科では解決せず、産婦人科へ回してもらう。入院中にお世話になった助産師さんがいたり、産前に通ってた産婦人科外来とは違う雰囲気を感じました。なんか、知ってる人ばっかりって感じ。

 

そして先生に診てもらうと、「やっぱり怪しいですね。」と。悪露がやばかったみたい。結果、子宮内膜が細菌感染して炎症を起こしているんだろうということ。抗生物質と解熱剤をもらいました。「抗生物質が効かないこともあって、その場合はもう一度入院です。」と言われ、ガーンガーンガーンとショックな私。じゃあ、退院なんてしなけりゃ良かった。入院期間6日を選んでおけば、こんなに煩わしい思いもしなかったのに~~~!

 

最初の診察後、血液検査をしたんです。その時、CRPという単語を初めて知りました。炎症の度合いを表すらしいのですが、普通の人は0.5くらいらしいんです。風邪で5、盲腸でも15くらい。それが私は21。ほんまは入院ですよ、と。まあ、結果が出た時には熱は下がってたし、入院は免れましたが、次また熱が出たら入院ね、と釘を刺される。盲腸で15。。それ以上の炎症を起こしてるのに、腹痛は無し。なんかやっぱ、人の体って、数値だけでは分からんもんですね。教科書通りにはいきません。

 

さらに不思議な私の体。悪露がおかしいので、子宮に残っているのを掻き出してもらう訳ですけども、その処置がですね~、ぜんっぜん痛くない。先生に、大丈夫ですかー?!とあのカーテンの向こう側から何度も聞かれ、その度に大丈夫ですと言い続けてました。また別の日には、あまりにも私が無反応なのが余計に心配になったのか、看護師さんに様子を見に行けと指示を出し、慌てた看護師さんがきょとんとしている私の顔を見て、「痛み強いね~!!!」と、びっくりした様子でした。ちょっと痛い時もあったけど、いや、痛いというか、だるーい感じみたいのはありました。が、「痛くないです」なんて、絶対言ってはいけない!って必死に思ってました。だから、「ちょっと痛くなってきました~」って一応言ってました。この人大丈夫と思われて、雑に処置されてもイヤじゃないですか。痛みに強いというか、ほとんど痛みを感じてなかったんですけどね。ほんまは手術室で麻酔してするんですよーと先生が言ってました。…ほんまに?!  てことは、全く痛くもないのに麻酔してたかもしらんの?!もしかして、お腹を開く手術とかも、痛み感じない人とかおるんかもしらんな。。。一律で麻酔されるけども。まあ、そんな人はさすがにおらんか。。

 

とりあえず、1ヶ月健診で病院通いは終了となりました。あっという間の1ヶ月でした。気付いたら赤ちゃんも大きくなってたわな。

後日、実家が産婦人科の友達に産褥熱の話をしました。その子のお母さん曰く、「それ、だいぶ調子悪いやん!そんなん今時ないで!その病院で何かされたんちゃう?!」だそうです。何が原因か特定するなんてできないからもういいんですが、とにかく私は具合が悪かったらしいんですよ。自覚はほぼありませんでしたがね。

そして、このたび月のものがやってきました。授乳中なのにー。。長女の時は1年9カ月音沙汰無しやったのに。。この産褥熱が関係してるんちゃうかと睨んでるんですが、まあそんな因果関係も証明できるもんでもないでしょうしね。

 

以上、産褥熱のお話でした。処置が遅れると怖いらしいので、皆様お気を付け下さい。。。

 

 

 

 

妊娠8カ月、先天性心疾患の疑いで子ども医療センターへの紹介状を渡されたこと。その後編

全て終わって今思うこと。

医療センターの結果が判明したら買おうと思って、アマゾンの欲しいものリストに何冊か本をピックアップしてました。結果が分かって一安心したら、その本の存在をすっかり忘れてたんです。そして産後、アマゾンのサイトを見て、その本たちの存在を思い出しました。

ふと、自分の子どもに疾患がなかったからって、本当に読まないままでいいのか?と疑問に思い始めたんです。検査前は、疾患を持って子どもが生まれてくると覚悟を決めてて、センターにいた他の妊婦さんを同志だとも思ったりしてたんです。自分が抱いていたかもしれない気持ちや考え方、体験したかもしれない現実を、このまま知らないままでいいのか?同志だと勝手に思った妊婦さんたちの気持ちを分かろうとしなくていいのか?そしてこの先、自分の子どもが障害を持つ可能性は、誰にだってあります。重篤な病気になるかもしれない。事故にだって合うかもしれない。このままで終わらせることはできないなと思ったんです。

 

あの巨大な子ども医療センターに通う子どもたちが、大人になって子ども医療センターに通えなくなった時、新しい病院で信頼できるお医者さんに出会えるだろうか?という心配もあったり。。。

自分の子どもの病気が何なのか勝手にネットでピコピコと検索した結果、もしかしたらこれかもと思った病気は、左心低形成症候群という先天性心疾患でした。この病気は、治療法が確立されて30年ほど。だから、今生きている左心低形成症候群の人たちは私と同世代。妊娠出産の実績はたぶん「ない」だか、「あまりない」だったか。。。これからの将来、自分がどのようにしてどのくらい生きられるのか分からないって、一体どういう気持ちなんでしょうか。そういう尽きない不安に、今診てくれてるお医者さんは寄り添ってくれてるんだろうか。

 

結局私には、病気を持って生まれてきた子どもの親の気持ちは、実際には分かりません。医療センターに行くまでに辿り着いた結論(その子自身を丸ごと受け止めるということ)だって、もし心疾患があったという結果だったら、また振り出しに戻ったかもしれない。いや、ほぼほぼ戻るんではないでしょうか。

 

実際には分からない。でも、そんな私にもできることは、まずは知ること。なんですが、ちょっと今はゆっくり本を読む時間を確保するのが難しいので、できそうなことを見つけて一歩踏み出しました。年に一回っぽいけど、来年も続けようと思います。その時は、もう少し周りを巻き込んで。。。

 

紹介状を渡されて医療センターの初診日まで1ヶ月くらいやったなと思い返していたんですが、記録を見たら2週間でした。とにかく長く感じた2週間。でも、真剣に考えた2週間。本当は、夫婦間でもっと話し合うべきやった。私は不安に思ってSOSを発信してたし、旦那さんが気づかないなら、もっとはっきりと伝えるべきやった。子どもが生まれたら、問題なんて山ほど起きるし、生まれてくる子のことを真剣に話し合ってこそ、将来起こり得る問題を一緒に乗り越えられるんではないでしょうか。

最初でつまづいてもーたな、我が家。いや、最初というか、もう2人目やけども。。。

 

妊娠8カ月、先天性心疾患の疑いで子ども医療センターへの紹介状を渡されたこと。③

なんか私、くどくどと書いてますが、結論言ってなくない?!

我が子の結果を!特に引き延ばす理由なんてないのに!

えーっと、結論から申し上げまして。。。結局赤ちゃんに心疾患はありませんでした。

2014年12月1日 長女の誕生日。そしてついに子ども医療センターへ。

長女が3才になるその日、朝から家族で医療センターに行きました。

この病院、大きくて立派な病院でした。この大きな病院に、子どもばかりが通院するのか~病気の子ってたくさんいるんだな~と、初めての場所に少し戸惑いながら考えてました。初診ですので、まずは総合受付から。なんかね、さすが大きな病院!ってくらい時間がかかるんですよ。産婦人科外来に着いたのは9時半を過ぎたくらいだったような…。

産婦人科に着いたら、助産師さんの問診。すでに担当医が決まってました。そういうもん?診察に来れる日や、子どもは連れてこれない、等々説明を受けました。

尿検査をして、体重を測って、次に先生の問診。家族の病歴を聞かれました。私の家族、全員が癌なんですよね~。お父さん大腸がん、お母さん膀胱癌、お姉ちゃん乳がん。それを伝えたら、先生もビックリ。

「ちょっと、あなたのいとこくらいまで聞いといて下さい。」と。全て終わってお母さんにふと思い出して聞いてみたら、おじさんが胃がんでした…まあ、全員初期の段階で見つかって、今は元気なのですが。

そしてついにエコー検査。先生と一緒にエレベーターに乗って別の階へ。ここで私、妙に気まずくなる。密室。。。何か話さないといけませんでしょうか?とか、エレベーターの開くボタン押してあげて、先生が先に出れるようにしたほうがええんやろか?とか。どうでもいーーー。神妙な顔でそんなどうだっていいこと考えてました。まるで上司と乗ってるかのような緊張感。さっき出会ったばっかりの、これからしばらくお付き合いしていかなければいけない人(しかもお医者さん)と密室に入ったら、たぶんみんなああなるよ。ならんか。

ついにエコー。。。子どもが生まれる時ですら出ない涙、ここで流します。

診察台に横になる時、先生に性別を聞かれました。実はまだ聞いてなかったんです。生まれてからのお楽しみっていうのもいいな~って周りの話を聞いて思ってたから。でも、紹介状もらうずーっと前から、やっぱ性別聞いてしまってもいいかも~と思い始めてました。もうどうでもよくなってたんです。そして今回。もはや性別なんて楽しみにしてる場合ではなくなったなと思ったので、それを伝えると、先生はあっさりと教えてくれました。エコーのあの機械をあてた瞬間ですよ!ほんまあっという間にあっさりと、女の子ですって。

そのあとは先生無言で調べてました。ちょっと見にくいみたいで、うーん。。と言いながら。もしかしたら午後に調べ直したりするかも~とか言いながら。それでも赤ちゃんが少し動いたりしたようで、引き続きじっくり見てもらいました。

どれくらいの時間だったか、今はもう覚えてませんが、先生が、

「今日は旦那さんは1日お仕事お休み?」と聞いてきました。

「じゃあ、午後も大丈夫ということだよね?」

やっぱり見えにくいから午後にまた調べるのか~と思った時…!

「顔が強張ってるからもう先に言っちゃうけど、僕の見立てでは、心臓は大丈夫そうです。小さい穴とか、そういうのも見当たりません。」

ビックリしました。何か言葉を発しようとしたけれど、何一つ言葉にはならず、涙がドボドボと出てきました。泣く自分にもビックリ。だって、さっき出会ったばかりの赤の他人の前でですよ?心許してもーてるやん。いや、もうそんなレベルじゃなかったんでしょうね、私の心の中が。不安な気持ちが溢れんばかりにたまりにたまってて、出す機会を窺ってたんだと思います。

「心配だったよね~」と、先生。「ただ、ここまで来てもらって、後でやっぱり何か見つかってもいけないので、心臓以外の臓器も見ておきますね。あと、念のため、循環器科の先生にも見ておいてもらいましょう。」

必死に涙をふく私。一気に不安感から解放される私。

その後はただ待って待って待って待つ!!

旦那さんと長女のところに戻り、私は早速報告。

旦那さんも拍子抜けしておりました。一度ご飯を食べに行き、戻ってきてから循環器科の先生の診察を待ちました。その間約2時間ってとこでしょうか。

循環器科の先生に見てもらっても、やはり疾患は見当たらないらしい。ニコニコした顔で教えてくれました。お医者さんて、こんな風に笑うのかーと感心してまうくらい。先生にお礼を言い、またさっきの産科の先生を待つ。病院がこれまた異様に暑かったんですよね~。顔を真っ赤に火照らせながら、待つこと1時間くらいかな?途中、産科の担当先生がダッシュで階段を駆け上がっていくのが見えました。緊急オペでしょうか。。。タイヘン。。

その後先生が戻ってきて、私たちが診察室によばれました。やっぱり疾患はなかった、前の病院で見てもらった時は逆子だったので、見えづらかったんでしょうねーということでした。こういうこともあります、と。

うん、良かった。でも、良かったと思ってしまう自分に罪悪感も感じました。待ち合いで、入院の説明を受けてる夫婦もいたりで。。なんでしょうね、この感じ。私だけごめん、みたいな。でもそれってなんだか失礼な感情ですよね。ただ、これで終わりにしてはいけない!ってな感情が産後にムクムクと湧きあがります。それはまた、その後編で…

 

いやしかし、話は変わるけど、この医療センターの先生たちのエコーが痛かった…。経腹エコーですよ?!どんだけ力強く押し当ててんねや?!って。痛いです…って何度言おうと思ったか。けど、どんだけ痛み弱いねんって感じじゃないですか。経膣ではなく、経腹ですよ?経腹エコーして不快感表わす人ってあんまいないですよね?幸い、循環器科の先生の時は、私の顔が歪んでいたらしく、看護師さんが気づいてくれました。

 

この話、まだ続くかもしれません。。その後編になるか、その④になるか。。。

 

 

 

 

まじめだけど、マメではない私。

最初の決意も虚しく、そしてその後の謝罪も虚しく、全く更新できないブログ。。。

そもそもそんなマメちゃうしな。

GWは実家に帰省してました。めんどくさくて、パソコン持ってくのやめたんです。

でもそうすると、ブログが書けない。いや、iphoneのアプリあるやん!って思ったけど、どうもレビュー内容が良くない。

下書き保存できないとかコメントついてる。そんなん、育児しながら書いてる私にとっては致命的やん?子どもにあらゆる行動を邪魔される身としては、そんな危険なもの最初っから使えません。

とか思ってたら、アプリがアップデートされた模様。でもまだ挑戦してません。怖くて書き始めることできないです。書いても、消えてしまう恐怖。。。

誰か試した人、教えて欲しい。下書き保存できるよ!ってレビュー残して欲しい。。。

妊娠8カ月、先天性心疾患の疑いで子ども医療センターへの紹介状を渡されたこと。②

死を宣告された人の感情を、5段階で表すっていう話ありましたよね。

今しがたネットで調べたところ、

否認→怒り→取引→抑うつ→受容  だそうです。

怒りの感情はない。ついでに自責の念もない。人間としていいのか?!

怒りに関しては、本当に今から思い返しても全く思い出せない感情です。ただただ悲しくてショックだった記憶はありますが、怒りはないな~。なんだか、ピンときません。想像力を働かせてみても、怒りにはどうしても結びつかない。死の話ではないからなのか?いや、診断によっては死もありうるねんけどな。いや、そもそも自分の死ではないからなのか。。

あと、なかった感情としては、自分を責めるということ。結構たくさんの人がこの感情を抱くんじゃないんでしょうか?不思議なことに、私、全く責めない。責任感ないんか?ってくらい責めない。お酒飲んでたし(軽くですよ!)、大して健康的な生活を送ってたわけではないにもかかわらず。怒りとは違って、この感情は想像つきますよ。きっとほとんどのお母さんが、あの時こうしていれば…あの時あれをしなければ…とか考えるじゃないでしょうか。だからこそ、私おかしいんちゃうか?ってビックリ。

ただ、私の両親や旦那さんのお母さんは、私がお酒を飲んでいたこと(軽くだからね。)を知ってたので、彼らに責められるんだろうなーって思ってました。私に直接言うことはなくてもね。そんなどうでもいいこと気にしました。これから生まれてくる子どもの生について考えてる時に、他者から自分への評価なんてのはどうだっていいですよね。最初に考えるべきことではない。。。

 

その他の4つの感情はあった!やっぱり人間だった!

否認はあった。「ていうか!間違いなんちゃう?」って。実は紹介状を渡される人ってのは結構いて、その中で疾患が見つかるのはほんの一握りなのでは?!とか。でもそんな希望は、また裏切られる可能性が高い。現実を見なきゃな。。って、そんな風に期待をするのはやめました。期待するより、諦めるほうがそのあとの気持ちがまだマシなような気がします。

取引もあった。「お腹の中に、悪いもの全部置いておいで~」と話しかけたりしたなー。私が悪いもの引き受けますから!って。何も事情を知らない長女にも、一緒に話しかけてもらってましたね。元気に出ておいで~ってね。

抑うつも、あった。これは最初から最後まで一貫してずっとあった感情です。ふと、悲しくなる。長女がいるから、一緒に遊んだりして、赤ちゃんのことを考えないようにすることもある程度はできてました。なんせ、確定診断がまだですからね。でも、それでも、急に悲しくなって、息苦しくなって、こっそり泣いちゃったりしてました。

そして受容。確定診断まだのくせに受容って。。。って感じですが、最後に思い至ったこと、それはその子自身を認めること。障害を持ってるかもしれなくても、きっとこの子は生まれてくる。生まれ出てくる力を持っていることをまず認めてあげようと思いました。そこで、可哀そうだと思うことは、障害を持って生まれてくることを否定してるように感じるからです。生まれてこなかった命を否定するわけでは決してありません。命の重さはどんな子だってみーんな等しいものだと思ってます。生まれてこれなかったとしても、お腹の中に確かに存在した大切な命です。

私がこれからしなければいけないこと、それはその病気の勉強。そして私たちの周りの人へ病気の説明をきちんとできるようになること。子どもはいつか親から離れるし、その時に自分で病気のことを説明できるようにならないといけないですよね。そのために、まずは私がきちんと病気について理解しなきゃと思いました。周りの人たちはきっとこの子を見て、可哀そうだと思うでしょう。でも、ただ悲観するのではなく、前向きに一緒に成長を見守って欲しい。そのために、理解を得るために、自分たちがしっかり病気を理解し、前向きに過ごさないとな~という考えに達しました。

ここに達したのは、医療センターに行く3日前くらいでしょうか。その後の2日は、不思議とこの心配から解き放たれてました。っていうか、忘れてたくらい。

いや~、しかし私も感情のある生々しい人間でしたね。

何故か出てこない旦那さんの話。

たくさん考えたけども、やっぱり死の受容までのプロセスとは違いますね。

それよりも、出生前診断を受ける人の感情に近いんではないでしょうか。違いは、私はもう中絶できない週数であること。これが中絶できる週数での話だったら…と頭をよぎったりもしたけれど、今はそんなタラレバ話をしてる余裕はないので、考えることを辞めました。でも、本当はきちんと向き合わないといけない問題ですよね。

でね、出生前診断を受けるカップルって、きちんと2人で話し合うと思うんですよ。診断を受けるかどうかってことから、もし障害があったらどうするのかってことまで。

でも、うちにはそれがなかったのです。だから、これまで書いてきた私の決意ってのは、私の心の中だけで導き出された答えです。私は、ネットで見つけた情報とか、不安に思うことを話したりすることはありました。彼からは、「へえ~、そうなんだー。」「うーん。。。」という返事くらいしかもらえませんでした。彼としては、子ども医療センターに行くまでははっきりしたことは分からないから、考えるだけ無駄と思っていたのかもしれません。それとも、怖くてそんな具体的な話し合いをしたくなかったか。でもそれって、やっぱどっちも間違ってると思うんですよね。確かにはっきりしたことは分からない。でも、障害があるかもしれないと言われた以上、或る程度の覚悟は決めておかないと。後者に関しては、私も怖いんですけど~~~!って感じ。こういう時こそ2人で話し合って、慰め合って、乗り越えるんではなかろうか。ってか、そもそも彼が何を考えていたのか分からない。。。でもこれは産後、私の中ではっきりとした不満となり、その他諸々の鬱憤と共に爆発をするのです。

 

 

 

妊娠8カ月、先天性心疾患の疑いで子ども医療センターへの紹介状を渡されたこと。①

2014年11月14日 妊娠28週4日

私が行ってた病院は、妊娠初期と後期、検査時以外は助産師さんによる健診ですが、この日は先生がエコーで胎児に異常がないか詳しく検査する日でした。時間がかかるので、午後の枠での予約です。

待合室で待ってると、「○○さ~ん!」と先生(女)がやたら笑顔で呼んでくれました。中に入ってみると、若い研修医?医学生?男でした。ははーん、それで楽しいのね~。なんて、呑気に考えてました。助産師さんも笑顔で、どうやら3人で楽しい会話があったようです。その名残が先生の笑顔という形で出てたんですね。

 

いつも通りベッドにお腹だして横になり、子宮底長、腹囲、浮腫みチェック。そしてエコー。この日はまだ逆子でした。心臓チェック。先生、早速見づらそうにしてました。何度もあのお腹にあてる機械を動かし、じーっと見てました。結構長い時間だったので、私も少し不安になりながら、でも大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせたりしてたんです。先生も雰囲気を察してか、「背骨があってうまく見えないんです。」と言ってたし。でもどうしても見えづらいらしく、「ちょっと後でまた見てみましょう、先に他のところから~」と、心臓以外をチェックしてくれました。他の部分に異常はない様子。

そしてまた心臓。やはり何かがおかしいらしい。。「○○先生いますか?」と、産科部長が呼ばれ、一緒にチェック。この時点で、さっきまで和やかだった雰囲気はなくなりました。楽しそうだった助産師さんも一緒に画面を覗き込んでます。研修医も気まずい雰囲気を醸し出してくれました。

先生「右心、左心、右房。左房?」

部長「・・・。うん。」

なんか他にも何か話してたけど、素人には何言ってるか理解できず。。ただこの会話から、心臓の部屋が4つないんだということはわかりました。産科部長もはっきりした返答をしないとこからすると、産科部長の目にもそれは見えないんだな、と。

そして先生に、「ちょっと心臓が見えづらいので、子ども医療センターの胎児心エコーで詳しく見てもらってきてください。」と言われました。

 

紹介状を出されるという衝撃に、頭が混乱状態の私。

 ベッドから起き上がり、椅子に座ってもう一度説明を聞きました。

そこで言われたのは、左心房が見えないこと、普通は見えてるはずの大きな血管3本が見えないこと、その他には異常は見られないということでした。20週の健診では心臓の部屋が4つ見えてたと思うんだけどな~と、カルテを見返してくれましたが、その後先生は無言。おそらく、そのことに関しては記載がなかった模様。ただ、その大きな血管3本は、20週の時も見えてなかったらしいです。

「子ども医療センターに紹介状を書きますので、行ってきてください。もし赤ちゃんに何かあれば、生まれてからどうすればいいかを今から決めていけますので。」と、先生に言われた辺りから頭が混乱してきました。

紹介状?!それって簡単にもらうようなもんちゃうよね?!ほぼほぼ何かあると思ってたほうがいいってことよね?!てか、医療センターってどこ?この病院の中にあんの?今から行くの??そんなん長女の幼稚園のお迎えはどうすんの?!

ってな具合です。

 

落ち着け―、聞かないといけないことを聞くんだ!と、言い聞かせて、

「20週の時点でもし4つ見えてれば、今もあるということですか?(その後に3つに減るということはないのか?という意味)」とだけ必死に質問。もし4つあれば、今も4つあるらしい。

一通り説明を受け、紹介状を書いてもらう間、待合室でまた考えがグルグルと。。

でも主に考えていたのは、長女のお迎えのこと。どうすればいいんやろ~と。

今から考えたら、どうすることだってできたはずなのに。そして赤ちゃんのことは、手術して治るなら万々歳だと思うようにしよう、ととりあえず決意しました。

 

助産師さんが紹介状と医療センターへの行き方が書かれた紙を持ってきてくれました。行く時は誰かと一緒に行ったほうがいいかも、と。それってつまり、ほぼやっぱり何かあるってことですよねと思いながらガッカリする私。大丈夫?!ちょっとビックリしちゃったよね?って優しく言ってくれたけども、それ以上その場にはいられませんでした。早く去りたかった。大丈夫ですと伝え、足早に会計へ。。。

 

会計待ちの間、早速携帯ピコピコ。絶対やらんほうがいいのは分かってるんですけど、我慢できないですよね~。帰りの車で事故ったらどうしよう~って感じの心理状態でした。集中集中と言い聞かせて幼稚園へ。帰宅後、ネットでピコピコ。

その日のうちに旦那さんに言いたかったけど、残念ながら飲み会の日でした。次の日の朝、長女が寝てる間に話しました。旦那さんは表情を変えなかったけれど、心配してたはず。

 

そしてその2日後、医療センターの予約をとりました。12月1日。約2週間後、長女の誕生日です。。最短で予約が取れる日に来るように、医療センターの先生が言ってたらしいんですが、最短で2週間。そんなもんなんでしょうか?2週間がだいぶ遠く感じられて、どよーんとまた暗くなりました。それまで得体の知れない不安に苛まれるのか、と。

 

健康で生まれてくるということが、決して当たり前ではないんだとはっきりと思いました。だってこの私にも降りかかってきたんですよ。どうして私が?!とか、私がお酒をまだ飲んでるからだー(1杯未満ですよ~)とかは思うことはなかったけど、私にもこういう危機というか、大事が起こるんだな。。と、妙にこの時は冷静でしたね。その後、心理状態はコロコロと変貌を遂げるのです。

つづく。。。

 

 

 

第2子出産記録 その2 いよいよ出産!

2月10日 15時前?子宮口10センチ!

もはや時計なんて見る余裕なかったんで、時間はてきとーです。

10センチになるまでに、四つん這いでいきみ逃しをしたよーな。。

で、そのまま10センチになっていきんでみたよーな。。

そもそも四つん這いでやってみたかったんですが、痛みがちょっと和らぎましたよ。

師長さんも、「ちょっと冷静になったね!」って言ってたし。

 

で、10センチになって、いよいよいきむぞ~!

でっかいうんこ出す感じよね、それでいいんよね~、それ得意ー!!

ってな感じで何回かいきむ。が、お腹の中に変化なし。降りてきた感じとかなし。

四つん這いからしゃがんだポーズ、立ってみたり、最後は仰向け!

と、色んなポーズでいきんだけども、変化なし。。。

強いて言うなら、破水したくらい。

途中で、朝診察してくれた先生も様子を見に来てくれました。「ずいぶん早いね~」と、感心しながら。診察してから陣痛くるまでのスピードなのか、それとも分娩自体の進行具合なのかどっちのこと?!と思いながら、「ずいぶん早いんですー!」と返事する私。

その後も何度もいきむも、出てこない。。先生が内診し、「ちょっと狭いな。」と言ってるのが聞こえました。骨盤のこと?!

もはや何時だったかはわからんが、分娩台へ移動!

何度いきんでも出てこない赤ちゃん。産めない私。

分娩台のある部屋に移動しようということになりました。陣痛と陣痛の間にですよ。

移動の間に、3回痛みがくるからねと言われてたけど、廊下でいきむなんて絶対イヤだと思った私は、必死にとなりの分娩室へ。運悪く、廊下で他の妊婦さんの旦那さんらしき人と遭遇したし。目もばっちり合ったし。やだやだ。

がんばっただけあって、その間の痛みは2回でした。部屋を出る前と、分娩室のある部屋に着いてから。3回痛みが来なかったことを師長さんは残念がってましたが。。

そして気を取り直して分娩台にあがり、またしてもいきむ!いきむいきむ!でも、やっぱりダメ~。また先生の内診があり、「引っかかってる。」と言ってるのが聞こえてきました。そして、ついにあの秘密兵器の登場です。。。

秘密兵器。。それは、吸引カップ!

私、1人目も吸引分娩だったんです。3時間分娩台でいきんだあげく、吸引。今回も同じ流れですね。先生が、吸引のカップを掲げて、「ちょっと吸引してお手伝いしますねー」と。1人目の時はカップ入れる時にパニックになりましたが、今回はそこは余裕。そして、いきみに合わせて引っぱって、引っぱって、引っぱる。。。出ない!

何度も何度もいきみ、そしてようやく先生が、「あと2回で出る」と言ったんです。何?!2回?!!1回で出してやるー!!!っていきんだけど、ほんまに2回でした。その1回目、骨盤内を通ってる感覚というのがわかりました。1人目の時は全然わからなかったけど。骨盤や恥骨が左右に開くような感じですね。そして1回目で出てこないもんだから、入口で赤ちゃんの頭が挟まった。。。この状態が痛いと聞いていたけど、まあ我慢できる範囲でした。ウンウン唸ってはいたけども。で、2回目のいきみで頭が出て、そのまま私は脱力~。

ふう~って力抜いた瞬間、「出てくるとこみてあげてー!」と言われ、慌てて頭を起こすと、そこに見えたのは顔色の悪い赤ちゃん。顔の上半分か下半分のどっちかが青かったですね。第一印象は、顔色わるっ!でした。

顔色悪かったからなのかどうかはわかりませんが、師長さん、「へその緒こっちで切っちゃってもいいですか?!」って慌ててました。

15:58 次女生まれる!みんなビックリ、巨大女児だった~

ちゃんと呼吸できるように処置された我が子は、オギャーと無事声を上げ、私の胸にやってきました。つるつるでぬるぬるの新生児。滑って落としそうだな、と冷静な感想。1人目も特に感動はなかったけど、2人目も一緒でしたね。疲労感のほうが大きいです。その後、色々処置と測定。助産師さん、体重3回くら計ってました。3912グラムの巨大女児。大きすぎてみんなビックリです。まあ、朝の診察で3500と言われてたんですがね。36週で2900グラムやし。

経産婦は、胎盤が出てくる時が痛いと聞いてたけど、それもそんな痛くなかったですね。気付いたら胎盤は出てました。会陰縫合のほうが私は苦手です。先生に「痛かったら言ってくださいね~」と言われ、そっこー「痛い!」と返事しましたから。

チクチク縫われてる間は、写真撮ったり、長女に気を使ったり。長女、とにかく赤ちゃんに興味津々。抱っこしたら?と言うと、嬉しそうに腕を出してました。喜んでくれて良かったーと、出産以上の歓びを感じました。

興奮冷めやらぬ、出産直後。

アドレナリンのおかげか、ペチャクチャお喋りをし続けた気がします。あの痛みって、産み終わった瞬間になくなるから不思議ですよね。さっきまであんな唸ってたのに~って。写真も、助産師さんをこき使い、パシャパシャ撮ってもらいました。

赤ちゃんは、巨大児ってことで1日だけNICUへ。笑。旦那さんと長女も結構呆気なく帰宅。1人になってようやくボーっとしてみる。母子同室の場合、ほとんど休みなしなので、今の間に眠りたい。でも、やはりアドレナリンのおかげで眠れない。

しばらくして子宮収縮のチェックがあり、その時にちょっと足を動かしたら大量に出血したらしいです。結構助産師さん慌ててました。先生もよばれ、点滴することに。弛緩出血というやつらしいです。産後も色々あるんですよねー。

 

母子共に無事出産を終えたことが何よりも大切なこと。

今回は、妊娠中から産後まで色々あったので、本当にそう実感します。

弛緩出血以降の産後トラブルは、また別途アップしようと思います。。。