まじめなブログ

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妊娠8カ月、先天性心疾患の疑いで子ども医療センターへの紹介状を渡されたこと。②

死を宣告された人の感情を、5段階で表すっていう話ありましたよね。

今しがたネットで調べたところ、

否認→怒り→取引→抑うつ→受容  だそうです。

怒りの感情はない。ついでに自責の念もない。人間としていいのか?!

怒りに関しては、本当に今から思い返しても全く思い出せない感情です。ただただ悲しくてショックだった記憶はありますが、怒りはないな~。なんだか、ピンときません。想像力を働かせてみても、怒りにはどうしても結びつかない。死の話ではないからなのか?いや、診断によっては死もありうるねんけどな。いや、そもそも自分の死ではないからなのか。。

あと、なかった感情としては、自分を責めるということ。結構たくさんの人がこの感情を抱くんじゃないんでしょうか?不思議なことに、私、全く責めない。責任感ないんか?ってくらい責めない。お酒飲んでたし(軽くですよ!)、大して健康的な生活を送ってたわけではないにもかかわらず。怒りとは違って、この感情は想像つきますよ。きっとほとんどのお母さんが、あの時こうしていれば…あの時あれをしなければ…とか考えるじゃないでしょうか。だからこそ、私おかしいんちゃうか?ってビックリ。

ただ、私の両親や旦那さんのお母さんは、私がお酒を飲んでいたこと(軽くだからね。)を知ってたので、彼らに責められるんだろうなーって思ってました。私に直接言うことはなくてもね。そんなどうでもいいこと気にしました。これから生まれてくる子どもの生について考えてる時に、他者から自分への評価なんてのはどうだっていいですよね。最初に考えるべきことではない。。。

 

その他の4つの感情はあった!やっぱり人間だった!

否認はあった。「ていうか!間違いなんちゃう?」って。実は紹介状を渡される人ってのは結構いて、その中で疾患が見つかるのはほんの一握りなのでは?!とか。でもそんな希望は、また裏切られる可能性が高い。現実を見なきゃな。。って、そんな風に期待をするのはやめました。期待するより、諦めるほうがそのあとの気持ちがまだマシなような気がします。

取引もあった。「お腹の中に、悪いもの全部置いておいで~」と話しかけたりしたなー。私が悪いもの引き受けますから!って。何も事情を知らない長女にも、一緒に話しかけてもらってましたね。元気に出ておいで~ってね。

抑うつも、あった。これは最初から最後まで一貫してずっとあった感情です。ふと、悲しくなる。長女がいるから、一緒に遊んだりして、赤ちゃんのことを考えないようにすることもある程度はできてました。なんせ、確定診断がまだですからね。でも、それでも、急に悲しくなって、息苦しくなって、こっそり泣いちゃったりしてました。

そして受容。確定診断まだのくせに受容って。。。って感じですが、最後に思い至ったこと、それはその子自身を認めること。障害を持ってるかもしれなくても、きっとこの子は生まれてくる。生まれ出てくる力を持っていることをまず認めてあげようと思いました。そこで、可哀そうだと思うことは、障害を持って生まれてくることを否定してるように感じるからです。生まれてこなかった命を否定するわけでは決してありません。命の重さはどんな子だってみーんな等しいものだと思ってます。生まれてこれなかったとしても、お腹の中に確かに存在した大切な命です。

私がこれからしなければいけないこと、それはその病気の勉強。そして私たちの周りの人へ病気の説明をきちんとできるようになること。子どもはいつか親から離れるし、その時に自分で病気のことを説明できるようにならないといけないですよね。そのために、まずは私がきちんと病気について理解しなきゃと思いました。周りの人たちはきっとこの子を見て、可哀そうだと思うでしょう。でも、ただ悲観するのではなく、前向きに一緒に成長を見守って欲しい。そのために、理解を得るために、自分たちがしっかり病気を理解し、前向きに過ごさないとな~という考えに達しました。

ここに達したのは、医療センターに行く3日前くらいでしょうか。その後の2日は、不思議とこの心配から解き放たれてました。っていうか、忘れてたくらい。

いや~、しかし私も感情のある生々しい人間でしたね。

何故か出てこない旦那さんの話。

たくさん考えたけども、やっぱり死の受容までのプロセスとは違いますね。

それよりも、出生前診断を受ける人の感情に近いんではないでしょうか。違いは、私はもう中絶できない週数であること。これが中絶できる週数での話だったら…と頭をよぎったりもしたけれど、今はそんなタラレバ話をしてる余裕はないので、考えることを辞めました。でも、本当はきちんと向き合わないといけない問題ですよね。

でね、出生前診断を受けるカップルって、きちんと2人で話し合うと思うんですよ。診断を受けるかどうかってことから、もし障害があったらどうするのかってことまで。

でも、うちにはそれがなかったのです。だから、これまで書いてきた私の決意ってのは、私の心の中だけで導き出された答えです。私は、ネットで見つけた情報とか、不安に思うことを話したりすることはありました。彼からは、「へえ~、そうなんだー。」「うーん。。。」という返事くらいしかもらえませんでした。彼としては、子ども医療センターに行くまでははっきりしたことは分からないから、考えるだけ無駄と思っていたのかもしれません。それとも、怖くてそんな具体的な話し合いをしたくなかったか。でもそれって、やっぱどっちも間違ってると思うんですよね。確かにはっきりしたことは分からない。でも、障害があるかもしれないと言われた以上、或る程度の覚悟は決めておかないと。後者に関しては、私も怖いんですけど~~~!って感じ。こういう時こそ2人で話し合って、慰め合って、乗り越えるんではなかろうか。ってか、そもそも彼が何を考えていたのか分からない。。。でもこれは産後、私の中ではっきりとした不満となり、その他諸々の鬱憤と共に爆発をするのです。